制度の歴史を探る

違憲審査制の歴史は1803年のアメリカで、マーベリー対マディソン事件に対する最高裁判所長官マーシャルの意見が始まりとされています。
マーベリー対マディソン事件とは、選挙に大敗した与党が選挙から新しい大統領が就任するまでの空白の期間を利用して、影響力残存を試み、連邦裁判所判事を大量に任命したことに端を発します。この人事でマーベリーという人物がワシントンの判事の一人に推されましたが、政権の変動の混乱や時間の余裕がなかったこともあり、与党の国務長官が彼に辞令を交付することはできませんでした。そして新しい大統領が就任し、国務長官に任命されたマディソンは、マーベリーへの辞令交付を保留したのです。マーベリーはこの辞令交付の保留に対して、マディソン長官を相手方として、最高裁判所に訴えました。
この事件は以下の三つが争点になりました。

①マーベリーの任命は有効であるか。
② マーベリーに法的救済を求める権利はあるのか。
③最高裁判所は マーベリー救済のために職務執行令状を出すことができるのか。

結果、①と②は認められましたが、③は認められませんでした。その理由を最高裁判所長官であるマーシャルは、「マーベリーは辞令交付を要求する権利を有しているが、その訴えは1789 年に制定された裁判所法に従って提起されたものであり、その裁判所法が合衆国憲法に違反し、かつ無効であるので裁判所は救済のために職務執行令状を出すことはできない」といった説明をしました。つまりこの判決の結果、憲法が法律に優越し、かつ法的強制力を持つということを示す判例が生まれたのです。また憲法解釈における司法の役割も明確になったのです。

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